自分の足元を見る絶好のチャンス

築和光坊 独白

年齢が50年を過ぎるころには、落ち着き払った大人の風体となるだろうと、若かりし頃は信じておりました。知識を備え、何事にも動ずることなく、誰でもが自分を仰望する見識豊かな人物になっていると想像していたのです。

会社の業務に追われてくたびれ果て生気が衰えた人間。お得意様はもちろんのこと、上司や同僚はては後輩たちにも尻尾を振るような情けない人間。そんなみじめな姿を、自分に見たのは50歳を超えた直後でした。

縁があり、霞ヶ関自治会に巡り合えたのは、神の救いの手としか言いようがないと思います。
爾来十余年、一つ一つ出来事が本当の成長につながってきました。

長い年月をかけて、自分には「支えている足」があることに気づきました。ようやく自分に足元があることに気づいたのです。

でも、一番近いはずの足元が、ぼやけて遠くかすんでおります。
他の方々の姿は、しっかりと見ることができるのですが、自分の足元だけは、遠く感じています。

これでは、しっかりした歩みを踏むことができません。
石につまずいて転んでしまいます。
穴に入り、歩みが止まってしまいます。

自分の足元があることに気づいただけでも天祐というものです。気づいたら見る努力をすればいいのですから。
やがて足元が見えてくるでしょう。いえいえ、日々の行いにより足元が見えるようにしていくことが大切です。

きちんと足元が見えるよう、坐禅を組んでまいります。

随録

Posted by 至誠