先祖

エッセイ

 ある日曜日、東京は神保町にある学士会館で、私が所属している短歌の結社の新年会があった。前の所をある事情で退会し、今の所に入会したばかりの私にとっては荷の重すぎる会であったが、勇気を振るって参加した。正確には覚えていないが凡そ百名近くの参加者があったのではなかろうか。

 今、歌壇で活躍中の名だたる歌人たちのなかにあって、私は少々卑屈になっており、知る人もなく、末席を汚していた。しかし、席は対面式になっており否応もなく、向き合うことになる。すぐ前のAさんは歩いて二十分位の本郷に住んでいて、歌歴も相当ながいらしい。とても気さくで明るい方だ。その隣のBさんとも結構気があっていろいろと話がはずんだ。

 そして、何と言っても一番の収穫? はMさんと知り合ったことである。Mさんは私のすぐ右隣に座っていた。三重県の志摩市から来たという。とりとめもない話の中で「私の故郷は、宮城県だけれど、先祖は三重県の伊勢から来たらしいの。二十年ほど前、榊原姓(私の旧姓)の町民十数人で三重県の伊勢神宮に行きその折親戚の名乗りをしてきたらしいの。」と余り信憑性がないと思ったが、半ば社交辞令のつもりで話した。するとMさんは真顔で「あなたの顔は伊勢顔しているわよ」という。伊勢顔ってどんな顔なのかしら? と興味もあり、可笑しくもあった。

 Mさんの話しによると、三重県には榊原姓が多く、ある一角が、榊原姓一色のところも有るとのこと。榊原温泉は取り分けて有名らしい。う~ん、これはなかなか面白いぞ。信じるに足るかもと思いはじめた。

 そういえば、私の実家の土地内に小さくて古い大日神社という神社があり、その片隅に正中二年と刻まれた板碑が立っている。よくよく見ないと読み取れないほど、風化している。子供の頃は、その存在すら知らなかった。

 正中の年号を有する時代とは、一体どのような時代なのだろうかと興味は尽きずに辞書をひもとくとこうある。「周易」鎌倉末期、後醍醐天皇期の年号。甲子革命による改元。(千三百二十四年十2月~千三百二十六年4月)とある。これで分かるように わずか一年と八か月しか存在しなかったことになる。つまり正中二年までである。

 更に正中の変をひもとくと、後醍醐天皇が北條高時を討って政権の回復を企てた政変。正中元年(千三百二十四年)挙兵の計画がもれて、日野資朝、俊基は捕えられて失敗。天皇はその意のないことを釈明して事なきを得たとある。この事で正中の時代は終焉をむかえる。

 正中二年、この年先祖に何がおきたのか、正中の変に敗残兵となり、逃れ逃れて故郷に辿りついたか。そして何故、伊勢なのか。ロマンは尽きない。若くして故郷を離れ、土地の歴史学者に聞かずじまいに終わったのも、悔やまれる。

 それはともかくとして、伊勢から来たというのは、ほぼ間違いないと信じるまでにいたった。Mさんのお蔭である。そのMさんは、故郷志摩で、短歌、小説、エッセイとあらゆるジャンルで活躍とのこと、同慶のいたりである。地方紙に当選した小説を三篇読ませてもらったが、どれもみな、描写が生き生きとして、素晴らしかった。

 Mさんとの出会いは偶然にしては、余りにもできすぎていて、何か大いなるものの働きとしか思えない。たまたま、これまた偶然か、近くに住む友人Nさんも三重の出身で、私の話に全く同意してくれた。秋には三重に行こうとNさんはいう。無論Mさんにも会うつもりである。春宵におもいは尽きない。

エッセイ集 白鳥の歌 より
村上トシ子 著
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