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エッセイ

雨傘

 1年で一番雨が降るのは9月で、梅雨のシーズンより雨の降る量が多いそうである。振り返ってみるとそんな気がするし、事実そうなのだろう。しかしここに来てその定説も危うくなったように思う。第一梅雨の言葉さえ死語となったと思うくらいなのだから。

 梅雨時のシトシト雨、9月のやるせない雨、雨はそれなりに私の情緒を育てて呉れた部分もあったかなぁとの思いに駆られて雨は好きである。そして驚くことには日本には雨の種類が400もあるそうである。ほんの一部を挙げてみる。小雨、五月雨、時雨、驟雨、日照雨、村雨、秋霖、夕立、氷雨、小糠雨、穀雨、私雨……と挙げたらきりがないが私の最も好きなのは語感からして私雨である。ちょっと聞きなれない雨の名前だが「難読漢字」という辞典で知った。極地的に降る雨なのだそうである。

 私雨なんて日常的には使わないが、知っておくのも悪くなく、心が豊かになって来そうである。それにしても雨を表す言葉の多さに驚き感激するがそれは紛れもなく俳句(季語を取り入れる)の国であるからだろう。もっとも最近は季語をいれなくても俳句として成立すると明言する俳人もいるという。

 雨と言えば鮮明に思い出すことがある。私の小学校時代のことで60年以上も前のことだから昔も昔大昔のことである。今はどこで雨にあってもたいていはこまらないほど100円ショップ、コンビニ、あるいはスーパーに傘があふれていて、貴重品のイメージからはほど遠くなったが、当時は時計とまではいかなかったが貴重品だった。むろん今のように子供用の可愛い傘、大人用のお洒落な傘などあるはずはなく、わずかかの蛇の目傘、洋傘を家族で共有していた。

 だから登校時から雨が降っていたときは別として朝の天気が怪しいとか、曇っていてそのうちに雨が降りそうだの気配ぐらいでは傘は持っていかない。

 あの日もそうだった。授業の終わる1時間ぐらい前から雨が降っているのに気が付いた。傘をもっていない私(当時だれもがもっていなかったと思う)はがぜん落ち着かなくなった。しとしとの雨ならいざ知らずけっこうな雨だったからである。先生に気が付かれないようにしてチラチラと外を見ながら早く止んでくれないかなぁと祈るような気持ちでいた。そのとき、窓ガラスに母の顔を発見した。窓際で私の帰るのをじっと待っていたのである。雨が流れている窓ガラスは顔をゆがませていたが紛れもなく母の顔である。

 その時私の気持ちはどんなだったんだろう。思い出せないが、今もずっと忘れないでいるということは本当にうれしかったのだろう。それから帰り道どのようにして母と帰ったかは全く記憶にないが、窓ガラスに母の顔を発見したときのことは諄いようだが本当に鮮明に覚えている。

 雨
あめ、あめ、降れ降れ母さんが
蛇の目でお迎えうれしいな
ピチピチチャプチャプランランラン

かけましょカバンを母さんの
あとからゆこゆこ鐘がなる
ピチピチチャプチャプランランラン
(以下略)

ご存じ北原白秋の有名な童謡だが、この歌に触れるとき、決まってあの時の母とだぶらせ白秋もきっと同じような経験をしたのだろうと思うと心楽しくなる。

 それにしても日本の気候も温暖化の影響で様変わりたように思う。雨のふる日の情緒なんて全然感じられなくなった。驟雨とか豪雨とかがぴったりとする雨ばかりになって来たように思う。そして俳人も困っているのではと余計な心配をしている。

 天気予報が発達し、傘が貴重品でなくなった今、大人も子供たちも少しのことにも折たたみ傘を持ち歩き、雨に慌てふためくことはないだろう。ほんとにほんとに突然の襲来には、マイカーでのお迎えだ。  あの日の母の姿はすっかり古典的になってしまった。母が亡くなって22年が経つ。今年11月法事があると実家の弟から知らせがあった。

エッセイ集 白鳥の歌 より
村上トシ子 著

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